アメリカ国歌
アメリカ合衆国/The United States of America
動画
歌詞・日本語訳
1. Whose broad stripes and bright stars, |
1. |
And the rockets' red glare, Oh, say does that star-spangled |
砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中 |
2. What is that which the breeze, |
2. |
Now it catches the gleam 'Tis the star-spangled banner, |
朝日を受け栄光に満ちて輝きはためく |
3. A home and a country |
3. |
No refuge could save And the star-spangled banner in |
敗走の恐怖と死の闇の前では |
4. Blest with victry and peace, |
4. |
Then conquer we must And the star-spangled banner in |
肝に銘せよ 我々の大義とモットーは |
国家データ
首都 | ワシントン Washington, D.C. |
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面積 | 約962.8万km² |
人口 | 約3億人(2006年統計) |
関連ページ
- 米英戦争(1812年)とアメリカ国旗
- アメリカ国歌誕生と深い関係にある1812年の米英戦争とは?
- 天国のアナクレオンへ
- アメリカ国歌『星条旗』メロディ原曲
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アメリカ国歌『星条旗 The Star-Spangled Banner』の歌詞は、1812年に勃発した米英戦争における史実が元になっている。
米英戦争において優勢にあったイギリス軍は、首都ワシントンD.C.を陥落させ、さらにイギリス海軍がアメリカ・ボルティモア港のマクヘンリー砦を包囲していた。
アメリカ国歌誕生のエピソードは、このマクヘンリー砦での防衛戦が大きく関係している。(上挿絵:イギリス海軍の艦砲射撃に耐え抜いたマクヘンリー砦と星条旗)。
なお、米英戦争については、こちらのページ「米英戦争(1812年)とアメリカ国旗」で詳しく解説しているので適宜参照されたい。
アメリカ国歌誕生エピソード
ワシントンの弁護士フランシス・スコット・キー(Francis Scott Key/1779–1843)は、米英戦争(1812年)の最中、捕虜になっていたビーンズ博士の釈放交渉のためにボルティモアに来ていた。
交渉はイギリスの軍艦内で行われ、博士の釈放が認められたものの、マクヘンリー砦への砲撃が止むまで、二人は軍艦内で抑留される事となった。
砲撃が止んだのは1814年9月14日の朝のことだった。25時間にも及ぶ1,500発以上の砲弾にも関わらず、マクヘンリー砦の上には、星15個、縞15本が表わされた特大サイズのアメリカの国旗・星条旗が翻っていた。
この星条旗を目にしたフランシス・スコット・キーは大変感銘を受け、集中砲火を耐え抜いた国旗を讃える詩「マクヘンリー砦の防衛 The Defence of Fort McHenry」を直ちに書き上げた。
写真:マクヘンリー砦の星条旗(出典:Wikipedia)
この詩は後に流行歌「天国のアナクレオンへ」のメロディに合わせて歌われるようになり、1931年3月3日にアメリカ国歌「The Star-Spangled Banner」として法制化された。
なお、1931年3月以前は、イギリス国歌のメロディにアメリカ独自の歌詞をつけた『My Country, 'Tis of Thee マイ・カントリー ティス・オブ・ジー』が事実上のアメリカ国歌として歌われていた。