ボイコット 語源・由来

チャールズ・ボイコット(Charles Boycott/1832–1897)

よく抗議活動の一環として行う不買運動やサービス拒否などを指して「ボイコット boycott」という言葉が使われることがあるが、この単語は1880年頃のアイルランドでの出来事がルーツとなっている。

アイルランドでは過去3回の大きな飢饉(1740, 1845, 1879)が起きているが、元祖「ボイコット」が発生した当時のアイルランドではその3回目の大きな飢饉「1879年の飢饉」が発生しており、小作農たちはわずかな食糧で飢えを耐えしのいでいた。

農地改革運動の指導者マイケル・デイヴィット(Michael Davitt)は、小作農の地位向上とプロテスタント優位の状況を打破するべく、アイルランド北西部のメイヨー州(County Mayo)にて、アイルランド土地連盟(Irish National Land League)を設立した。

マイケル・デイヴィットらによる土地改革運動(土地戦争「Land War」とも呼ばれた)の槍玉に挙げられたのが、メイヨー州で不在地主の代理人をしていたチャールズ・ボイコット(Charles Cunningham Boycott/1832–1897)。

<右挿絵:チャールズ・ボイコット>

ボイコット大尉への抵抗

1880年、プロテスタント系地主の代理として年貢の徴収を任されていたボイコット氏に対して、アイルランド土地連盟は労働者をすべて引き揚げさせて農作業の継続を拒否。

さらに村全体でボイコット氏に対する物品の販売やサービス提供を拒否し村八分状態に追い込み、果てはボイコット氏への郵便配達員も脅迫を受けることがあったという。

ボイコット氏に対する一連の拒否行動がイギリスの新聞で大きな話題となると、アイルランド北部で活動する親プロテスタント組織「オレンジ党(Orange Institution/Orange Order)」メンバー数十名が現地へ駆けつけ加勢すると、アイルランドの警察隊が1,000人以上動員されて治安維持に乗り出し、一時期メイヨー州の村は物々しい空気に包まれた。

結局ボイコット氏はしばらくしてイギリスのサフォーク州へ逃げ帰り、7年後の1897年に病で亡くなっている。新聞を賑わす騒動となったアイルランドでの拒否行動は、ボイコット氏の名前にちなんで新たな英単語「boycott」となり、今日では一般的な単語として世界中に定着している。

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