アラモの戦い テキサス独立戦争

世界史・国際関係トピックス

1835年、メキシコ北部に当時存在したコアウイラ・イ・テハス州で、アメリカ合衆国からの移民らによる反乱が起きた。

これは、当時のメキシコ大統領ロペス・デ・サンタ・アナ将軍が、それまでの憲法を改正して中央集権国家に移行しようとしたためである。

サンタ・アナ将軍は鎮圧に乗り出し、アラモ伝道所(アラモ砦)を包囲してアメリカ軍を殲滅した「アラモの戦い」など数々の勝利をおさめた。

アラモ守備隊は全滅

アラモ伝道所を守っていたアメリカ兵は200名前後。再三援軍を要請したが、様々な事情が重なり、アラモに正規の援軍が送り届けられることはなかった。

包囲開始から13日目の1836年3月6日の早朝、アラモ砦に対してメキシコ軍の一斉攻撃が開始された。

寝込みをつかれたテキサス勢は劣勢に立たされ、指揮官のウィリアム・トラヴィスはが頭に銃撃を受け、ジェームズ・ボウイ大佐は簡易ベッドに寝ていたところを襲撃された。

サンタ・アナ将軍は攻撃を継続し、午前6:30には守備隊をほぼ全滅に追い込み、アラモを陥落させた。

アラモを忘れるな Remember the Alamo

アラモ全滅から1か月後の1836年4月21日、アメリカ軍最高司令官サミュエル・ヒューストンは、テキサス州サンジャシント川付近でメキシコ軍と激突した。

その頃メキシコ軍1500人は昼食後のシエスタ中(昼寝中)。ヒューストン将軍は「アラモを忘れるな! Remember the Alamo!」と鬨の声(ときのこえ)を上げ、800人の兵でメキシコ軍を奇襲。わずかな犠牲でメキシコ軍の半数を壊滅させた。

上写真:アラモ伝道所(アラモ砦) Alamo Mission in San Antonio

捕縛されたサンタ・アナ将軍 テキサス独立を承認

4月22日、ヒューストン将軍はサンタ・アナ大統領を捕縛。大統領は自らの命の保障と引き替えに、メキシコからのテハス州(テキサス)独立を承認し、メキシコ軍を撤退させた。

テキサス共和国の初代大統領にはサミュエル・ヒューストン将軍が就任した。今日におけるアメリカ・テキサス州南東部の都市ヒューストン(Houston)は、将軍の功績を讃えて命名されたものである。

なお、テキサス共和国は1845年にアメリカ合衆国28番目の州として併合され、翌年からのアメリカ・メキシコ戦争(米墨戦争)のきっかけとなっている。

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