日本とタイの友好・強い絆

世界史・国際関係トピックス

日本との深い関係を保ちながら、東南アジアで唯一西欧諸国の植民地支配から独立を保ち続けた君主制国家、タイ王国。

戦時中、日本はタイに20億バーツ(当時で10億ドル以上)の巨額な負債を抱えていた。戦後、返済交渉にあたった使節団の元タイ国陸軍大尉ソムアン・サラサス最高顧問は、共に西欧列強と戦った日本の窮状を目の当たりにして、次のように述べたという。

「日本国民は餓死寸前の時でありました。日本中が焼け野原でした。そして皇族も華族もいなくなり、有力な軍人と賢明な役人と高潔な政治家は牢に叩き込まれて誰もいません。アメリカはそっくり返って威張っている。団員は、『こんな気の毒な日本を見ていられるか。』と口々に言いました。」

ソムアン・サラサス氏らの報告により、20億バーツの巨額な借金は、最終的に40分の1の2,500万ドルにまで棒引きされた。

また、同氏とその父で戦前に経済相を務めたプラ・サラサス氏は、「あまりにも日本の子供達がかわいそうだ」として、私費で象の「はな子」と米10トンを日本へ寄贈している。

日本の皇室とタイ王室の親密な交流

タイ王室と日本の皇室の交流は深く、アジアにおいて西欧列強の植民地化から長きにわたり独立を保ち続けた数少ない君主制国家として、今日まで両国は親密な関係を維持している。

天皇皇后両陛下は御即位後、初の外国訪問としてタイを訪問されたほか(1991年9月)、2006年6月には、プミポン国王(ラーマ9世)即位60周年記念式典へ御出席されるためにタイを公式訪問されている。

また、秋篠宮文仁親王殿下も頻繁にタイを御訪問されており、宮内庁webページによれば「国王王妃両陛下は、秋篠宮同妃両殿下を我が子と同様であるとして、非常に懇意にされている」という。

タイの元首相「日本というお母さん」

タイの元首相ククリット・プラモート(Kukrit Pramoj/1911-1995)氏は、生前(1955年)、タイで最も権威ある新聞「サイヤム・ラット」紙上で、次のような言葉を残している。

「日本のおかげでアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産してその母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。

今日東南アジア諸国民が、米・英と対等に話しができるのはいったい誰のお陰であるか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあった為である。

12月8日(太平洋戦争開戦日)は我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して、重大決心をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。」

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