ロバート・ブルースとバノックバーンの戦い
イングランド軍を撃破した英雄ロバート・ブルース
スコットランドの英雄ウィリアム・ウォレスの死後、権力闘争を勝ち抜いて王位継承に名乗りを上げたのは、ウォレスに爵位を授けた貴族ロバート・ブルース(Robert de Brus/1274-1329)だった。
1306年、ロバートはイングランドに無断で戴冠式を強行しスコットランド王位を宣言。一旦はイングランド討伐軍に大敗を喫したものの、ダグラス城での勝利を皮切りに連戦連勝を重ねた。さらにイングランド王エドワード1世が病没すると、イングランド軍の勢いは完全に消失した。
勝敗を決したバノックバーンの戦い
1314年、ロバート1世の快進撃を食い止めるべく、イングランド王エドワード2世は自ら本隊を率いて、スコットランドの湿地帯バノックバーンでスコットランド軍と対峙した。
後にスコットランドの事実上の国歌『スコットランドの花(Flower of Scotland)』のモチーフとなったバノックバーンの戦い(Battle of Bannockburn)である。
イングランド軍は弓兵と重装騎兵を主力とする2万5千の兵力、対するスコットランド軍は槍兵と剣士を中心とするわずか9千の兵力だった。
しかしロバート1世は湿地帯という足場の悪い戦場を最大限に生かし、足を取られて連携の取れないイングランド軍を翻弄。
自ら前線に出て敵将を一騎打ちで手斧で討ち取るなど、ロバート1世の英雄的な行動はスコットランド軍の士気を大いに高め、強行軍で疲弊していたイングランド軍を潰走させた。
スコットランド独立 ステュアート朝成立
バノックバーンの戦いでの大勝利を契機に、イングランドはスコットランドにおける支配力を喪失。数年後にはすべてのイングランド兵が駆逐され、ついに1320年、ロバート1世はアーブロース寺院(Arbroath Abbey)にてイングランドからの独立を宣言した。
1371年にはロバート2世が即位しステュアート朝が成立。その後300年以上にわたってステュアート朝は存続するが、スコットランドを大きく揺るがす大事件が17世紀の初め頃に起きる。歴史の教科書でも有名な1688年「名誉革命」の勃発である。
関連ページ
- イギリス国歌『God Save the Queen』
- 歌詞の一部ではジャコバイトとの戦いについても言及している
- スコットランド国歌『フラワー・オブ・スコットランド Flower of Scotland』
- スコットランドのフォークグループ「The Corries(ザ・コリーズ)」による楽曲