名誉革命とジャコバイトの反乱

イングランド王位を巡るクーデター「名誉革命」

1603年にステュアート朝のジェームズ1世がイングランドとスコットランドの王を兼ねて以来、両国は同君連合の関係にあった。

そこへ1688年、オランダ軍を率いたオランダ総督ウィリアム3世(ウィレム3世)がイングランドに上陸。ステュアート朝のイングランド王ジェームズ2世(下挿絵)をクーデターにより王位から追放した。

翌年2月にウィレム3世はウィリアム3世として国王に即位すると、女王となった妻メアリー2世と共にイングランドの共同統治者となった。

同年に発布された「権利の章典(権利章典/Bill of Rights)」は今日のイギリスにおける憲法同等の根本法として存続しており、イギリス国王は「君臨すれども統治せず」の原則に従う立憲君主であることが明確化された。

スコットランド・ジャコバイトの反乱

名誉革命により議会が王位継承に大きく関与しうる制度が生まれると、「議会が王位継承に関与すべきでない」とし、追放されたステュアート朝のジェームズ2世こそが正当な王位継承者であると主張する反革命勢力「ジャコバイト Jacobite」が台頭。各地で反乱がおこった。

ジャコバイトの最大の支持基盤はスコットランドであり、ステュアート家がスコットランド出身であることや、元々のイングランドとの対立意識が大きな理由となっていた。その他、カトリック系のアイルランドフランスでも支持を集めた。

ジャコバイトが大敗 ~カロデンの戦い~

当時のイングランドとスコットランドは、アン女王時代に成立した「1707年連合法」に基づき両国の議会は統一され、「グレートブリテン王国」という一つの国家となっていた。

グレートブリテン王国においてもジャコバイトの反乱は続いたが、幾度の敗戦でその勢いは衰えていき、ついに1746年、スコットランドで起こった大規模な反乱「カロデンの戦い(Battle of Culloden)」(上挿絵。左側がジャコバイト)でイングランド政府軍に大敗。この戦いにより長年のジャコバイト運動はほぼ鎮圧された。

関連ページ

イギリス国歌『God Save the Queen』
歌詞の一部ではジャコバイトとの戦いについても言及している
スコットランド国歌『フラワー・オブ・スコットランド Flower of Scotland』
スコットランドのフォークグループ「The Corries(ザ・コリーズ)」による楽曲